前回は、ラザール・ベルマン先生にご紹介いただいた先生が、かなり個性的だった、ということを書きましたが、今日はそのレッスン内容について書きますね♪
レッスンが始まると、まずテクニックを一からやり直しましょう、ということで、チェルニー・ゲルマーという楽譜を勧められました。ゲルマーさんという人が編集したチェルニーの練習曲なのですが、最初のたった4小節の楽譜、これが難しいのです。まず、右手だけをものすごくゆっくりのテンポでppで弾かされるのですが、最初のドを弾いだけで「ノー!」。そもそもの音の出し方が違うのだと。まったく何の意識もせず、力もかけないように、ただ触れただけで音が出るイメージのようなのですが、それが本当に難しい・・・。
それだけを何度もさせられた後に、次のレの音に進むと、即座に「ノー!」。レガート(音をなめらかに繋げて弾くこと)のやり方、力の移動のさせ方が違うようなのです。1拍目のドレミファまで行こうものなら、もう「ノー!」の連発。音にムラがあると言われ、よく聴いて均質に弾くことがどこまでも要求されます。左手1拍目の2音、これも非常に難しく、あまりにも「ノー」が続いて、私の質問に対する相槌までが「ノー」になってしまい、「うわあ!今、相槌がノーになった!!」と、もう笑いを堪えるしかありませんでした・・。
先生の仰ることを実現するのは難しく、自分の家では毎朝ピアノに向かって、このチェルニーを片手ずつ、ものすごくゆっくり弾くのが日課になりました。まるで修行僧のようだな・・と思ったのを覚えています。そんな風に今までのテクニックを大きく変えつつ、一方では国際コンクールの大量の課題曲に取り組んでいたわけで、今から思えば両立が難しかったのは当たり前ですね。結局、コンクールにはいろいろトライしましたが、留学直前に受けたブゾーニ国際コンクールが一番いい結果、ということになりました。その点は残念でしたが、ブラギンスキー先生に徹底的にテクニックの基本を教えていただけたのは、幸運だったと思っています。結局、先生の仰る奏法の習得は難しく、それが自分の体の感覚で、こういうことかな?と感じられたのは、帰国してから数年が経った頃でした。
また、先生は、音楽的な表現についても大変厳しいものがありました。ある時、ショパンのバラードか何か、10分近くの曲を持って行って私なりに熱演したのですが、「ミホ、私にはな~んにも伝わって来なかったわ」と一言。他にも、しょっちゅうズケズケ言いたい放題言われるので、私もとうとう頭にきて、バタンとドアを閉めて出て行ったことも・・・。こんなに失礼なことを身内でもない人にしたのは、後にも先にもこの時だけです(笑)。もう辞めてやる!とその時は思うのですが、よくよく考えると、私はまだこの先生から学ぶことはあると思い、気を取り直して翌週もレッスンに。先生は満面の笑みで迎えてくださり、私も笑顔で挨拶してレッスンが始まるのですが、次第にムードは険悪に・・・(笑)、そんなことを繰り返していました。
それでも、3年ほど習って帰国を決めた頃には、すっかり打ち解けて、いろいろな悩みを相談させていただくまでになりました。先生もご苦労の多い人生の中から、深いアドヴァイスをくださったりして、結局、私にとって、心から信頼する先生になりました。
当時から数十年経った今も、「さあ、世界で一番難しい曲をやりましょう!」とチェルニー・ゲルマーの楽譜を広げる時の先生の笑顔や、怖い顔で「Work! Work! Work!!」と仰った後の満面の笑みが甦ります。いろいろ考えて選んだ留学先のブリュッセルでしたが、この先生との思いがけない出会いは、今でも私にとっての宝物です♪
写真の説明
1.このピアノを前に、時々熱いバトルが繰り広げられていました(笑)。
2.ゲルマー編集のチェルニー練習曲の表紙
3.この第1番を修行僧のように練習しました。両手で弾くのは至難の業。