ママ友との話題に、よく子どものお稽古の話が登場します。今は、毎日詰め込めるだけ詰め込んで過ごしているお子さんも珍しくありませんが、ママ友達とは、「やらせ過ぎは良くないよね、子どももぼーっとする時間は必要でしょう!」という話になります。私も自分の子ども達には、それぞれの個性を見ながら、本人の気持ちや体力と相談しつつ通わせるようにしています。
そんな子ども達を見ていて、自分の時はどうだったかな・・と考えると、いろいろなことを思い出してきましたので、今日はそれについて書きますね。(長くなりそうなので3回に分けます♪)
まず、私の場合、通ったお稽古事は全て音楽に関係するものでした。一番最初は、4歳の頃、近所のピアノ教室へ。私の小さい頃は、女の子はとりあえずピアノ、という風潮がありました。今でも同世代の人と話すと、「小さい頃、ピアノを習っていました!先生がめちゃくちゃ怖くて、練習が嫌でやめちゃいました」という人達の多いこと!とにかく、我が家は両親とも素人ながら音楽が好きで、家には父が初任給で買ったというアップライトピアノがありましたので、気楽に習い始めました。
年配の優しい女性の先生でしたので、基本的に楽しく通っており、ピアノのレッスンの後には聴音(先生が弾いた音を五線紙に書く)も、してくれていました。レッスンの順番が前後になった生徒さんと一緒にするのですが、私がまだ書ききれていないうちに先生が他の人のを見てどんどん先を弾かれたことがあって、ぽろぽろ泣いていたのを思い出します。その他の思い出として、当時、同じ地域の小学1年生の女の子が誘拐されて殺されてしまう、というショックな出来事がありました。その時に弾いていたのが素朴な短調の曲で(今も頭の中にあるのですが、曲名が思い出せません)、それが異様に怖く感じたのを覚えています。
小学生になってからは、これまた皆が通った(笑)ヤマハ音楽教室へ。2つ上の兄が既に通っていましたので、幼稚園の頃から教室の中に入って聴いていましたが、私が始めたのは7歳ぐらい。ピアノも「専科」の先生に習うようになったのですが、この時の若い女性の先生が怖くて私はよく泣いており、しかも今から思うと基礎が抜けていたので、少し残念・・・。
3年生になって、母が、もう少し他の先生を探してみようと思ったらしく、電車で一駅乗って、60代の女性の先生のところへ。この先生の持論が、「音楽は心の表現であるのだから、小さい頃から練習練習というのは良くない、小さい頃はしっかり遊ばせて心を育てるのが大事!」とのことで、それはある意味正しいのですが(笑)、母も私もそれを真に受けて、私は毎日暗くなるまで友達と遊んでいました。
その頃、ヤマハ音楽教室ではグループレッスンを続けていて、おそらく私が希望したのだと思いますが、エレクトーンも習うことに。先生は、色白で垢抜けた感じの若い女性で、その先生が軽快にペダルを踏み、パチパチレバーを操作する様子に憧れていました。曲も洋楽的な楽しい曲になり、別世界が開けました。作曲の時間もあって、私は「旅行」という曲を作ったのですが、最初は車のクラクションの音を入れた楽しいドライブの雰囲気、中間部は信州のリフトの下に一面に広がるお花畑をイメージした、ABA形式の音楽で、どこかの大会で演奏したのを思い出します。
その3年生の中頃からは、ヤマハ音楽教室をやめて大阪音楽大学付属音楽教室に通うことに。4年生からはヴァイオリンも習いますが、そのことはまた次回、書きますね♪