前回は、ブリュッセル王立音楽院の授業のことなどを書きましたが、実技試験もずいぶん日本とは違っていました。まず、ベルギーでは演奏時間が長かったですね。卒業試験はリサイタルプログラムで、1時間はあったかな(ちょっと記憶が曖昧・・)。ちなみに、桐朋学園大学の卒業試験は、14分以内のソロ2曲でした。ピアノ科だけでも100名以上いたので、仕方がないですね。ベルギーでは、ソロ曲に加えてピアノ協奏曲1曲の課題がありましたが、試験では全楽章のオーケストラパートを自分の先生が隣で弾いてくださいました。ここも日本と違う点ですが、ベルギーの先生は皆、現役のピアニストでした。
アンドレ・デ・グロート先生に習えて良かったと思うのは、ベルギーの人々の音楽との関わり方が体験出来たことです。先生はあちこちの街でコンサートをされていましたが、室内楽の時は、よく譜めくりのお手伝いをさせていただきました。いつも先生の友人のご夫妻が車で連れて行ってくださいましたが、コンサート会場が、地域の人々の社交の場になっていることがよく分かりました。コンサートの前後にワインがふるまわれることもあり、秋には地元で穫れた房付きのぶどうが配られて、多くの人がぶどうを手に、立ち話をしていました(皆さん皮も種もガシガシ食べていましたが、私は種を出したくて困りました・・。)とにかく、どの街でも人々が自然に音楽と社交を楽しんでいて、豊かだな~とつくづく思いました。
ベルギーは、古いものも新しいものも大切にする国のようで、古楽も現代音楽も盛んでした。どちらのコンサートも刺激的でしたし、バレエでは、コンテンポラリーバレエなど面白かったな~。その他、驚いたことで思い出すのが、レンタルCDショップのクラシックコーナーの広さです。流石だな!と思いました。そこに私は毎週通って、交響曲や室内楽、歌曲などピアノ曲以外のCDもいろいろ借りていました。あのレンタルCD屋さん、今でもあるのかなぁ・・・?
このように音楽と深く関わって、充実した毎日を過ごしていましたが、その一方で、孤独感もありました。まず、外国人というのはやはり孤独なものですね。私には帰れる日本があるけど、祖国ポーランドに帰ることも出来なかったショパンは、どれほど辛かっただろう・・などと時々考えていました。あと、音楽を勉強する街としては、適度にのんびりしていてよかったのですが、音楽院のピアノ科で国際コンクールに挑戦する人が少なくて、これも孤独でした。そういう意味では、桐朋学園は刺激がありましたね。大学では朝5時から練習できるのですが、朝5時台に行くと、あちこちの部屋からけたたましい音が鳴り響いていましたので・・(笑)。
生活する上で辛かったのは、お天気です。よく小雨の降るところで、一日のうちで「晴れ、くもり、雨」のセットが3セットぐらい繰り返されることも多くて、お天気屋の人にずっと付き合っている感じで、しんどかったな~。あと、食べ物も私にはキツかったかも。外食は美味しかったですが、基本的には自炊で、和食を作ることも多かったのですが、スーパーのお肉は全部塊なので、郊外のお肉屋さんでスライスしてもらっていました。それで肉じゃがなどを作るのですが、脂分がなくてお肉の質が全然違うのですね。野菜もやたら大きいし・・。そういう細かいことがストレスで、文化的にすごく豊かな街だけれど、永住は出来ないな~と思っていました。
話が少し暗くなってしまいましたが(笑)、それでもやはり、実り多くかけがえのない日々であったことは間違いありません!また、こうして改めて振り返ってみると、特定の作曲家に偏らず、幅広く勉強したいと思って訪れたベルギーでは、本当に様々な方向から音楽の勉強が出来てよかったと思っています。
今日もまたあの先生のことを書きそびれてしいましたが、その話の前に、憧れのピアニスト、ラザール・ベルマンさんのことを書かなければなりません!それについては、また追々書きますね~♪
写真の説明
1.ブリュッセル王立音楽院でお世話になったアンドレ・デ・グロート先生
2.郊外にあるデ・グロート先生のお宅で、生徒出演のコンサートを開いてくださいました。終了後には素敵なパーティーが。
3.家から路面電車で少し行ったところに広大な森があり、よくお散歩をしていました。
4.留学を終えて帰国後も、このような機会に呼んでいただきました。