今日は、リサイタルの最後に演奏するドビュッシーについて書きますね。ドビュッシーとの出会いは、中学1年生で弾いた「ベルガマスク組曲」でしたが、その時の驚きは今でも忘れられません。どの音もそれまで弾いてきた古典派やロマン派の響きと全く違う新しさがあり、譜読みを進めるにつれ、世界がぐわ~んと広がるように感じたのでした。それ以来、ドビュッシーは大好きな作曲家の一人となりました。
ドビュッシーの音楽は、印象派の画家のモネやルノワールの絵に例えられることもありますが、ドビュッシー自身は印象派と言われるのを嫌がっており、関心はむしろモローやルドンなどの象徴派の芸術(目に見えないものや、夢、内面の世界などを表す芸術)に強くあったようです。(私はルドンの絵が好きなので、嬉しい限り!)ドビュッシーは家が貧しかったために初等教育を受けておらず、それを読書で補おうとしたのか、かなりの文学青年だったようです。また、当時の世紀末的な風潮もあって、オカルト的なものにも関心が高く、目に見えない世界、怪奇的な詩や文学も好み、それを音楽にしたい気持ちがあったようですね。
ドビュッシーの音楽は淡く優雅な光のような魅力もありますが、反対に、暗く謎めいたカオスのような世界もあり、その表現の幅が広いところが私は気に入っています。そして、ドビュッシー自身が「和声の化学」という言葉を使っているように、作品を弾いている時は、音を混ぜ合わせて色を作るような感覚があり、それがいいピアノであればあるほど楽しめるような気がしています♪
ドビュッシーの性格や人生を見てみると、これはもう、かなり奔放です(笑)。パリ音楽院時代は、和声学のルールを少しも守らず、課題に新たな試みをしては先生達を戸惑わせていたようです。10代で恋した14歳年上の女性は、さんざんお世話になっていた人の奥さんでしたが、27曲も歌曲を作って献呈するなど、することが大胆ですね!
結婚も2回するのですが、その度に前の相手はピストルで自殺未遂しています。1度ならず、どうして2度もそのようなことが起こるのか前から不思議だったのですが、ドビュッシーにそうさせるものがあるのか、相手が似たようなタイプだったからか・・・。(実際、自殺未遂した二人は友人同士だったようです。。)2度目の結婚の時は、ドビュッシーは既に作曲家として名を成しており、貧乏生活を影で支えた妻を捨てたということで大スキャンダルとなり、多くの友人や社会的信頼を失いますが、それも承知でドビュッシーは自分の思いを押し通したのですね。結局、2度目の結婚で娘が生まれ、その後は妻と娘を生涯愛すことになったようですが・・・。
これだけを見ると情熱に突っ走る人のようにも見えますが、苦心の末に書き上げた「ペレアスとメリザンド」というオペラは、中途半端な発表の形を良しとせず、作品世界にふさわしい音響と空間、観客数のもとで上演するために、7年も待ったそうです!そして、結果は大成功。音楽に対しては妥協を許さない忍耐強さもあり、やはり凄い人だなと思います。
今回のリサイタルで演奏する「映像 第1集」は、「水の反映」「ラモー讃歌」「運動」の3曲から成りますが、響きの個性が確立した、ドビュッシーの自信作です。最後に演奏する「喜びの島」は、ドビュッシーが2度目の結婚相手と出会い、二人でイギリスのジャージー島に滞在していた時に書かれました。愛のヴィーナスを題材にしたワトーの絵画に触発された作品であり、ドビュッシー自身も恋愛の真っ只中にいたことの窺える高揚感があります。皆様には、どちらの作品からもドビュッシーの奥深い魅力を感じていただければ嬉しいです♪