前回は、ベートーヴェンからこの曲を贈られたであろう「エリーゼ」が、「テレーゼ」こと弟子のテレーゼ・マルファッティなのか、「エリーゼ」ことソプラノ歌手のエリーザベト・レッケルなのかで、見解が分かれていることを書きましたが(他にも「エリーゼ」候補はいるようですが、有力説はこの二人)、今日はそれについての私の考えを書きますね。
私が「エリーゼ」だと思うのは・・・
ごめんなさい!残念ながらどちらの可能性も捨てきれず、分からない、です。以下が私の考えたことです♪
1.「テレーゼ」だと思う理由
・自筆譜を持っていたから。
・当時ベートーヴェンが夢中になって求婚した、と思われる手紙が残っているから。求婚したことが事実だとすると、そんな時に他の女性に私的な曲を贈るかしら?
・この曲にはピアノ奏法上のテクニックが含まれていて(手の交差や30小節目からの32分音符、左手の連打、77小節からのアルペジオや半音階など)、ピアノの弟子としての「テレーゼ」を意識したかも?と思われるから。
2.「エリーゼ」だと思う理由
・自筆譜を発表したノールという学者は、ベートーヴェンの700もの手紙を解読しており、名前を読み間違えるのは不自然だと思うから。当然テレーゼの存在も知っていたはずで、それでも「エリーゼ」だと主張しているから。
・ちょうどお別れのタイミングで曲が作られているから。
・フンメルも魅力を感じて結婚したような将来有望な美しい歌手に、ベートーヴェンも心惹かれただろうと思うから。(これは余計かな)
・実際にベートーヴェンと親しくしていたエピソードがあり、ベートーヴェンが結婚したいと考えていたらしいから。(「エリーザベト・レッケル」Wikipediaのドイツ語版より)
いろいろ勝手なことを書きましたが(笑)、今度は楽譜から感じたことを書きますね。
まず、最初のミレ♯ミレ♯ミシレドを聴く段階では、何拍子か分からないですね。その後左手が入って3拍子と分かるのですが、曲は3拍目からのスタートで、何とも不安定な出だしです。しかも強弱はpp。この辺りに私は秘めた思いを感じます。そして印象的なミレ♯ミレ♯の手の交差。右手だけでも弾けるのに、わざわざ手を交差させる意味は・・・。手を変えることによって独特のニュアンスが生まれますが、揺れ動く気持ちなのか、何度も呼びかけるような思いなのか、または、ピアノのテクニックとしての要素なのか・・。
それから、曲の3分の2を過ぎたあたり、左手がララララララと緊張感のある部分に入りますね。ここは何か情熱を感じるところですが、強弱記号がないので原則的にはppのまま。曲は大きく展開しているのに何も強弱を書いていないのは、ベートーヴェンにしては奥ゆかしい感じがします(笑)。出版を気にしていないから強弱を書く気がないのかと思いきや、その後のアルペジオのところには、しっかりppと書かれています。ということは、その前は自然に盛り上がって大きくなるでしょう、の意味も感じます。
気になるのは、この曲の大半のアイディアが、曲の完成の2年前にはスケッチ帳に書かれていたことです。最初のメロディーにしても、「エリーゼ」を意識して書かれた可能性も無くはありませんが、ただフッと思いついたものなのかもしれません。どの程度の思いや意図があってこの曲が書かれたのかは、やはりベートーヴェンのみぞ知る、ですね。
いろいろ考えたら止まりませんが(笑)、はっきりしているのは、この曲が、ベートーヴェンがある女性へプライヴェートで贈った作品だということです。私は、最初のppと、盛り上がり部分に何も強弱記号が書かれていないところに、ベートーヴェンの秘めた思いを感じ、それを女性に伝えたかったのかな、と思ったりしています。
けれども、前にショパンのことをいろいろ調べて演奏した際にも思ったのですが、作品というのは、背景にある具体的なものの表現ではなくて、それを通り越した(昇華した)もっと普遍的なものや、美しさの表現ではないかとも思うのです。そういう意味で、春にこの曲を弾く頃には「テレーゼ」でも「エリーゼ」でも、どちらでもよくなって、私なりにしっくりくる表現が見つかっているといいなと思っています♪
「エリーゼのために」を調べていたら、またまた面白い情報に出会い、そこからまたあれこれ考えていることがあります。「引っ張るな~!」と言われそうですが(笑)、次回(「マニアック編」かな)はそれについて書きますね♪