様々な作曲家が住み、活躍したウィーン、せっかくですのでベートーヴェン以外の作曲家の博物館にも行ってみようと、滞在中は忙しく動き回りました。
まずは、モーツァルト(1756-91)。彼は、25歳の時に故郷ザルツブルグを離れて以来、35歳で亡くなるまでウィーンに定住しましたが、私が訪れたのは、ウィーンに現存する唯一の家である「モーツァルトハウス」です。(写真が撮れず・・ごめんなさい)
モーツァルトに関する伝記や本は、ある程度読んでいたので、博物館では、主に知っていることの確認だろう・・・などと思っていたのですが、さすがは本場の博物館ですね!ここには日本語のオーディオガイドがあり、その説明がずいぶん長く詳しかったので、今まで知らなかったことを沢山聞く事が出来ました。例えば、前回の私のリサイタルのトークで、「ショパンやラヴェルはモーツァルトが大好きで、大変お洒落な人達だったが、モーツァルトがお洒落だったかどうかは、よく分からない」とお話しましたが、実際、モーツァルトは手紙で「これこれしかじかのボタンに合う赤いフロックコートが頭から離れず、どうしても手に入れたい」とある婦人にお願いし、無事手に入れることが出来た、という事実があったようです。やっぱりモーツァルトもお洒落な人だったんだ!と、嬉しい納得。その他、部屋にはビリヤード台があり、トランプなどの遊びも好きで、当時禁止されていたギャンブルに夢中で、ずいぶん浪費していたことも詳しく分かってしまいました(笑)。
続いて訪ねたのは、「シューベルトの生家」です。シューベルト(1797-1828)は、31年の全生涯をウィーンで過ごした、生粋のウィーン人です。中心地から少し離れたエリアだったこともあり、その時そこを訪れていたのは私だけ。おかげで、ゆっくりとシューベルトワールドに浸れました♪ ベートーヴェン、モーツァルト・・・と見てきて、やはり気になるのは自筆譜です。シューベルトのそれは、想像していた通り素朴な印象で、誠実さがよく感じられました。シューベルトは内気ながら、友人達に大変愛された生涯でしたが、そのことが展示の絵などから伝わってきます。作品を昔の名演奏で聴けるようにもなっていて、いつまでも聴いていたい・・・と楽しんでいたのですが、「そろそろ閉館のお時間です」と、係の人に声をかけられてしまいました(笑)。
それから、「ハイドンの家」にも足を運びました。ハイドン(1732-1809)は、モーツァルトと深い関わりがあり、ベートーヴェンの師でもあった、当時非常に力を持っていた作曲家ですが、そのことが窺える立派な博物館でした。多くの召使を抱え、音楽家など来客が多かったハイドンの暮らしぶりが伝わる内容でしたが、実は私のお目当ては、その中の一部屋にある「ブラームス記念室」。ブラームス(1833-97)も、36歳から63歳で亡くなるまでウィーンに住み、ウィーンを愛した作曲家ですが、そこにはブラームスの使用した家具や遺品の数々が展示されていました。この時代になると写真が残っていますが、それらを見て改めて思ったのが、若い頃に比べて晩年は本当によく太ったなあ!と(笑)。また、その表情はいずれも眼光鋭く、作曲に対して完璧主義なブラームスの姿が偲ばれました。
そしてそして、今回の旅でどうしても訪ねたかったのが、作曲家達の眠る「中央墓地」です。1871年に、市内5カ所にあった墓地を集めて開設された、ヨーロッパで2番目に広い墓地だそうですが、その「名誉地区」には、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウスなどの墓碑が集められています。
いろいろ過密スケジュールを組んでしまったので(笑)、ここへは朝早くから路面電車に30分ほど乗り、8時ごろ到着。墓地の入り口にあるお花屋さんで、ベートーヴェンに捧げるお花は何にしよう・・などと考えながら、いくつか花束を作ってもらいました。それを抱えて「32A区」という場所を探すのですが、これがなかなか見あたらず・・・。朝早いので周りに誰もおらず、ただただ広大な墓地。本当に怖かったです。。もう一度、広い道に戻ってみて・・・などとやっているうちに、ありました、ありました!ベートーヴェンやモーツァルトなど、偉大な作曲家の眠る一角が。早速お花を捧げ、作曲家一人一人にご挨拶。今後の抱負や決意なども聞いていただいて、足取り軽く、路面電車でウィーンの街に戻りました。